お墓のありかたも十人十色

 私には男の兄弟が三人いる。長男はすでに他界し

二男は生まれてすぐに親戚にもらわれてその家を継ぎ

 

一番下の弟は結婚せずにいたこともあって

両親が亡くなるまでずっと一緒に暮らしてきた。

 

親の老後を精神面で支え続けた考行ぶりには頭がさがり

ありがたかったが、墓守の方は至らないことばかりで先々に不安があった。

 

二男の弟が、この状態を心配して自家の墓に引き取る前提に

自分の方のお寺に承諾を得た上で、私に相談をもちかけてきた。

 

自分が引き受ける手筈は整っているが

私にその気はないかと言うのである。と言うのは

 

私たちは疎開者だったので、終戦後の食糧難の苦しさをもろに受け

母親は疎開する時に持って来た着物を一枚づつ抱えては

闇米を手に入れるために右往左往していて家を空けることが多かった。

 

私が長女であるが故に、小学生の時から留守を任されていた。

心細かったが一生懸命だった。

 

そんな私の姿は 彼から見ると親子というよりも、同志のようで

親子の係わりが一番深いのは私だと思う・・・・・と言う。

そんな日々もあったなあと、しばし想い出に浸った。

 

しかし嫁いだ身である私は

心配しながらもあえて目をつぶって来た部分であった。

 

「よくよく主人と相談してくれ」との依頼を受けて

戸惑いながら主人にこの話をもち出した。

 

主人は末っ子であることもあってか

あっさりと「それも良し」と言ってくれた。

 早速、主人の実家と同じ宗派のお寺を探し相談をしてみた。

「今は子供の数が少ないから、そういう例はいくらでもあるよ」

と言われ決心がついた。

 

すでに入手してあった墓地で若葉石材さんのプレートを見つけ訪ねてみた。

今までの事情を話すとすぐ理解してくれて

 

以後 何回となく打ち合わせの場を持ち、

こちらの希望をすべて叶えてもらって、順調にお墓は完成した。

 

いよいよ今までのお墓を閉じてお骨を上げる日を決める時になって

弟から

 

「自分が満足に墓守出来なかったことが こういう結果を招いてしまった。

ずっと悩んで来たが これからは出来るだけのことはするから

お墓をこのまま残して欲しい」

 

との申し出があった。びっくりしたが、私はその心がうれしかった。

今は、夫婦が共に楽しくお墓づくりが出来たことをうれしく思っています。

 

若葉石材さん、最後まで気持ちよくお付き合いくださいまして

ありがとうございました。

                                               

                             

ご主人は空手の先生ということもあり、柔道経験の私と「武道」の共通で

とてもお話が合いました。出来上がったお墓は、とても力強く、どこかやさしさを感じられるお墓になりました。ありがとうございました。